無題
毒親に感謝
とある動画を観て私の中に整理しきれない感情が湧いたので書き出してみようと思う。
毒親関連でよく話題にのぼる、親への感謝というものがある。
もはや陳腐な程ありふれているけど「毒親に感謝しなくていい」殆どの場合そう結論付けられている。その通りだと思うし私もその一人だ。
親に感謝しないことに罪悪感を感じたこともない。
なら何故この記事を書いているのかというと、冒頭の動画を観てから心にズシンと重りがのしかかっているのを感じるから。
動画の主は過去に悲惨な虐待を受けていて、それは私が受けた暴力や言葉の比じゃなかった。
決して、「それでも親に感謝している」「許せた」という様な内容ではなく、様々な複雑な感情があったのが観て取れたしその人にしかわからない苦悩を感じた。
でも最終的には「この人がいたから今の自分がある」と受け入れているように思えて、何故か私はそれ以上その動画を観れなくなった。
着地点は人それぞれなのはわかっている。許しちゃいけないなんて思ってない。
ただ私にはどうしてもその結論を受け入れることができなかった。
もちろんこの親じゃなければ当然今の私はいないだろう。
ポジティブに考える事はできる。苦しんだ分得たものはあった、と自分を慰める時もある。
でもこんな自分はいなきゃよかった。いてはいけないと思う。マイナスの方が圧倒的で、生き残れるかすらわからない。
それが言える人は今が幸せだから、と思うとただただ羨ましい。結局は嫉妬でしかない。
私より酷い目にあってて、それでも受け入れることができて、幸せになってる。私ってなんだろう。
っていうのがどんよりしてた原因なんだろなと。
苦難を乗り越えて幸せになった人がいっぱいいるのは知ってても、改めて実際に語っているのを見聞きしたら複雑な気持ちになった。
引きこもり
私は約10年間引きこもりで、一歩も外に出られなかった。
理由としては主に幼少期からの虐待、長期に渡るいじめを引き金に精神疾患、その他を発症した事から。
外に居場所はなくて、家に居る他なかった。鬱で何もできなくてただ横になってて。
よく引きこもりは裕福で甘やかされてるという偏見があるけど、うちは真逆で家での待遇は酷いものだった。
家に居させてくれて、養ってもらってる、それだけで恵まれてると言う人もいる。だけど私には地獄だった。
家族からの身体的、精神的暴力、自分自身に耐えられなくて、何度も自殺を図った。
今でこそ通院などが出来るようになったけれど、それまでに凄まじい時間がかかったと思う。
自立ができないから今もまだこの家に住んでいる。
関わりを絶ってから以前のような衝突はなくなったもののPTSDが辛い。逃げたい。